聖武建立、芭蕉一句、伊達の殿様、みんなで合掌

写真は現在の国分寺僧坊の全景(入口付近から)
奈良期〜平安末期に隆盛を極めた陸奥国分寺でしたが、立国史を補った史料『日本紀略』に、934(承平4)年、七重塔に落雷、焼失したとあります。さらに源頼朝による奥州征伐の途中、1189(文治5)年に兵火のため全体が焼失。そこから荒廃が進んだようです。
ちなみに全盛時代、多賀城は陸奥国の政治的拠点、国分寺は宗教・文化の拠点でした。両者は主要街道である「東山道」で結ばれていたと伝えられています。
室町時代に入ると、地域を支配していた国分氏が再建。国分氏を引き継いだ仙台初代藩主・伊達政宗公が伽藍を整備し、薬師堂や仁王門を新たに建立。現在ある姿はほぼこの時にできたものです。


伊達政宗公が建立した薬師堂(写真上)と仁王門
かの俳人、松尾芭蕉も「奥の細道」の旅路途中に立ち寄り、一句詠んでいます。
あやめ草 足に結ばん わらじの緒
江戸期に至っても、国分寺のご威光は輝いていたようです。
ところで、小生のブログテーマは「仙台三十三観音めぐり」です。というわけで、肝心の観音堂は、国分寺と薬師堂を結ぶ中間にあります。

第25番札所にあたる観音堂は、三十三観音の中でも唯一の特長を持ちます。それは、朱塗りであるということです。(現在では元々のあざやかな色彩を拝領し、楽しむことはままなりませんが…)
観音堂に納められている観音様は「準胝観音」(じゅんていかんのん)です。伊達6代藩主の伊達宗村公が母親である長松院久我氏冬姫の遺志を受け継ぎ、二間四方の堂宇を作り、「準胝観音」を安置しました。延命・病気治癒・除災のご利益で知られる観音様です。
ちなみに、「準胝=じゅんてい」は、サンスクリット語(梵語)の「チュンディー」の音写で「清浄」を意味する言葉だそうです。七倶胝仏母尊(しちくていぶつもそん)とも呼ばれ、「遠い過去より諸仏の母として尊ばれた御仏」という意味を持ちます。三目十八臂の観音様で、手が多いので「千手観音」と間違われることが良くあります。まれに八臂の場合もあるようです。
さて、せっかく訪れたので、拝みましょう拝みましょう。ご真言を唱えながら、先人先輩の功績を讚えながら。
オン シャレイシュレイ ソンデイ ソワカ
あらためて、ハイ、合掌
です。「陸奥国分寺」
● 所在地/仙台市若林区木ノ下二丁目8-28
● 交通/仙台市営バス「大和町行き」薬師堂聖和学園前バス停下車すぐ
(ほてから仮面)
国家を守るため、「滅罪」のために生まれた国分尼寺

ところで、国分尼寺は当時、「法華滅罪之寺」(ほっけめつざいのてら)と呼ばれていました。聖武天皇夫人である光明皇后が名づけたものとされます。
光明皇后は奈良初期の権力者・藤原不比等の娘で光明子と言いました。光明子は聖武天皇と結ばれ?人臣としては初めて皇后となった女性です。
ところが、光明子が皇后となった以降、藤原家に不吉なことが次々と起こります。737(天平9)年、疫病が大流行。皇后の兄弟である藤原四兄弟、房前・武智麻呂・麻呂・宇合らがまるで鎖がつながるかのように倒れ、亡くなったのです。また、皇后には子どもがいました。しかし、満一歳前に亡くしてしまいます。さらにさらに、740(天平12)年には藤原広嗣が乱を起こし、政治的にも危うい情勢となっていきました。
そのような時に出されたのが、聖武天皇による「国分寺・国分尼寺の詔」です。国家の安泰を仏さまにまさしく委ねたというわけです。光明皇后が創建した寺院は父親である藤原不比等の邸宅だった場所にありました。旧邸宅だったところはそれまで皇后宮として使われていましたので、光明皇后が寺院建設にいかに頼ったか、魂を込めたか、心血を注いだかがわかります。皇后の寺は「法華寺」と名づけられました。「滅罪」という言葉は、彼女の奥深い「悲しみ」そのものを表しているのかもしれません。その後、法華寺は「大和国分尼寺」となり、やがて総本山を意味する「総国分尼寺」と変化していきます。
全国の国分尼寺は、こうした背景による影響を微妙に受けながら、国家鎮護の寺院として活かされていきました。
やがて時は移ろい、国家鎮護を命題とした仏教は衰退の一途をたどります。平安・鎌倉と、末法思想に裏打ちされた来世の救済を説く教えが幅を広げ、人々の心を捉えます。そんな中、国分寺・国分尼寺は忘れられた存在になっていきました。
その後、陸奥国分尼寺は室町末期に再興。この地を支配していた国分氏が行ったものと伝えられています。さらに、1570(元亀元)年には、川内龍川院明屋梵察(かわうちりゅうせんいんみんおくぼんさつ)によって、天台宗から曹洞宗へ改宗。今日に至っているということです。
ちなみに、現在は、国分「尼寺」とは言うものの、「尼寺」(尼僧のいるお寺)ではないそうです。

仙台三十三観音の一つ、国分尼寺に属する24番めの観音様は、本尊となっている聖観音菩薩(像)です。気品のある1m余りの木彫りの仏像で、恵心僧都(えしんそうず)の作と伝えられています。

「曹洞宗 国分尼寺」
● 所在地/仙台市若林区白萩町33-26
● 交通/仙台市営バス「大和町行き」で大和町一丁目バス停下車、徒歩3分
(ほてから仮面)

合掌。

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※宮城の蔵元訪ね歩きは、ジュンク堂仙台店(イービーンズ6階)・仙台ロフト店、丸善仙台アエル店、金港堂(本店・大河原店・泉パークタウン店・石巻店)、紀伊国屋書店仙台店、八文字屋(仙台八文字屋書店・SELVA店・名取店)、あゆみBOOKS(仙台店・仙台青葉通り店)、ブックスなにわ多賀城店、ブックスみやぎ(JR仙台駅エスパル3階)、米竹書店の各書店で500円にて販売しています(6/30現在)
芹沢けい介美術工芸館のワークショップ企画
素敵なデザインだと、
涼しさ率がちょっと上がる…気がします。

こちらは「芹沢けい介美術工芸館」のワークショップ
「うちわをつくろう」の作品のサンプルです。
渋紙の型紙と岩絵の具を使った「合羽刷り」の技法が体験できます。

ぼかしたり、グラデーションを付けたり、自由にアレンジして
好きな形に切って、縁取りして完成。
料金は、材料費のみ
200円
今年も7月11日(土)、12日(日)、20日(祝)、31日(金)
8月6日(木)、12日(水)、16日(日)、29日(土)
それぞれ11:00〜15:00に行なわれます。
体験時間は約30分。
東北福祉大学の敷地内にある芹沢けい介美術工芸館では
現在、型絵染の人間国宝・芹沢けい介さんの屏風絵やうちわなどの作品を紹介する
企画展「芹沢けい介の屏風絵」を開催中。
●東北福祉大学芹沢けい介美術工芸館
企画展「芹沢けい介の屏風絵」
住所/宮城県仙台市青葉区国見1-8-1
開催期間/8月31日(月)まで ※期間中無休
開館時間/10:00〜16:30(入館16:00まで)
入館料/大人200円、学生100円、高校生以下無料
TEL022-717-3318
余談ですが。
工芸館併設の珈琲館では、コーヒーとセットで
宮町にある「Studio Fahren」の洋菓子を提供しています。
Studio Fahrenは、平日の特定の曜日にしか開店しないため
なかなか買いに行けないファンが多く、ちょっとレアですよ〜
※芹沢けい介の「けい」は、金偏に圭
手でいただく「スリランカカリー」
体も頭もシャッキリする、美味しいカレーはいかがでしょう。
こちらは泉ケ丘にあるセイロンティーとカリーの専門店
「Punchi Lunka(プンチランカ)」。
住所/仙台市泉区泉ケ丘3-8-1?
営業時間/10:00(食事は11:30)〜19:30
休/月曜
TEL022-375-1010

カリーは「チキン」「パリップ(豆)」など日替わりで3〜5種類。
それぞれメインの食材に合わせて数種のスパイスを配合するそう。
口当たりはマイルドながら、香り高く
後からじわっ昇ってくるような辛味が後を引きます。
(辛さは日本人向けに現地より押えているようです)
一部のカリーはカツオでだしを取っていて
日本人に親しみやすい、どこか優しい味わい。
2種類のカリーを混ぜていただくと、これまた美味。
ちなみにライスは、宮城でも米どころとして知られる大崎市産です。
もちろんスプーンも使えますが
お店では、現地流の「手食」を薦めています。

スリランカ直輸入の香り豊かな紅茶やデザートも印象的な味わい。
上の写真はスリランカ風プリン「ワタラッパン」。
「チャイ」(スリランカにはないそうですが)が好きな人は
ぜひ試してほしいスパイスが利いたデザートです。
調理担当のスタッフは、青年海外協力隊などの活動で
スリランカに3年間住んでいて
カリーのレシピは、当時、現地で仲良くなって招かれた
家庭の味が基になっていると言います。
Punchi Lunkaでは、NGOと協力して
スリランカの子どもたちの支援なども行っています。
第23番札所の松音(しょうおん)寺、山門は政宗公の隠居場所「若林城」の大手門です。

仙台の寺町・新寺小路の一画に広大な敷地を持つお寺があります。木々がうっそうと茂り、そこだけ別世界が広がっている静寂なムードが漂います。
松音(しょうおん)寺。藩政時代には、伊達家との深い関わりを理由として「仙台総禄寺」に数えられたお寺。輪王寺・泰心院・昌殿庵とともに、仙台曹洞宗四大寺になっていたお寺です。
寛正年間(1460〜66年)、福島の国見町松ケ蔵に伊達家12世成宗公の菩提寺として創建。成宗公をはじめ、次世の尚宗公、14世の稙宗公が葬られました。1548(天文17)年、子息の晴宗公との争いに敗れた稙宗公が隠居するのに伴い、丸森(現・宮城県丸森町)の地に移り、その後、仙台開府とともに現在の地に移ってきました。1618(慶長7)年には政宗公の次男宗綱もここに葬られたと伝えられています。伊達家による手厚い保護により松音寺は、全盛期には36もの末寺を持つまでに隆盛を極めました。
ところが、1870(明治3)年、火災のため全焼失。廃寺を余儀なくされかけましたが、その後1888(同21)年、末寺の長泉寺を併合してその敷地に移転。危機を乗り越え、復活を果たしました。
特長の一つに、三間一戸の薬医門があります。政宗公が晩年過ごした若林城が「一国一城令」により廃止された際、その大手門を拝領したものです。豪壮な中にも独特な風情を感じさせる佇まいが不思議な威圧感を与えています。
さて、ここの観音様は、前出説明させていただいた如意輪観音です。もともと遍照寺というお寺にまつられていた仏像ですが、明治に入って寺運が衰えたため、松音寺に観音堂もろとも移されました。旧若林城の薬医門をくぐってすぐ脇にあります。
「曹洞宗松音寺」
● 所在地/仙台市若林区新寺4丁目6-28
● 交通/仙台市営バス「六丁目ほか」行きで新寺4丁目バス停下車徒歩3分
(ほてから仮面)












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